VIVA ITALIA
 
 
 
1973(昭和48年)はじめてのイタリア
NO.1

 1970年大阪に万博が開催された年の7月から45日間アメリカに旅行した。これが私のはじめての海外旅行でした。
  そして3年後の1973年8月、28日間ヨーロッパの旅に出た。当時としては格安のツアーで、おもに学生を対象としたものだったと思う。日本から飛行機でロンドン、そして、あとはユーレルパスでの自由移動でロンドン、パリ、ローマ、チューリッヒ、そして、ラストはベルギーのブリュセル。この6カ国を基本に廻り、それぞれ日程の間はホテルが確保されて宿の予約の心配なしに自由にどうぞと言う形のツアーだった。
 それぞれ6カ国以外も、また都市も自由に列車にのつて移動するが列車以外は別途、また上記のホテル以外も自分で予約するがこれもすべて別途。記憶をたどっての28日間のコースは下図です。・・・・・・・・01.2.15

 
 
 

7/29大阪から羽田へ何で行ったのか記憶が無い。
 
NO.2

前日、明日のためにパリ・リヨン駅まで下見に行く。
1978.8.5
朝、初めて汽車に乗る、前日予約した1等に乗る 3人掛けの向かい合わせ6人。フランスではほとんど言葉は通 じない。ホテル、交通機関では英語が通じるが3年前行ったアメリカでの英語が活かせた。実を言うとたいした英語ではない。単語を並べるだけの無茶苦茶英語。それでもなんとかなる、まちかどでは英語も日本語も同じ、声を発することで相手がこちらを認識するあとはゼスチャーのみ。
だれでも外国に行ったらつくづく思う。言葉が通じればもっと有意義で楽しいことかと・・・・・。

一等車はゆったりしている日本も2等車が有ったのを思い出す。列車でリヨンを通 りモナコに到着、駅前のホテルに行き宿を決める、チェックインして荷物を置いてすぐさま外にホテルの名前は出て来ない。一泊して夜、ローマーに向けて出発。

ユーレールパスで一等に乗る 直ぐ近くに日本人の二人連れがいた。こちらは一人、夜中ジェノバを通 過したのを覚えている。朝、ローマーのテルミニ駅に到着。 ローマーには弟が2年8カ月前にシベリア鉄道を乗り継いでローマー入り。当時、ローマー国立美術学校彫刻科に籍をおいていた。先生はイタリアの巨匠エミリオグレコとのこと。 私がイタリアに興味を得たのは弟の影響だと言える。

1978.8.8
この第一回目のイタリアから平成9年の訪問まで8回をかぞえたことになる。 当時の資料がどこかに有ると思うのだがまだ見つかっていない。写 真類は全て出てきた。ポジフイルムが主体でプリントも出て来た。逐次、スキャナーに読み込んでお見せできるでしょう。 さて、話を戻すことにします。

はじめにお話しましたがツアーでヨーロッパめぐり。イタリアローマーの宿はテルミニ駅から歩いて10分程度のホテルといってもペンションのようなものだった。玄関は小さく階段を昇って2階がフロントと小さいろびーが有った。ツアー一行はまだ到着していない。フロントに行って片言の英語とスケジュール表を見せロビーで一休み。

弟には日本から手紙を出し今日8月8日朝、このホテルに着くことを知らせておいたので顔をだしてくれることだと思う。昨日の夜行列車ではあまり寝れなかったようだったがホテル周辺を散歩。ローマーに来た実感がする。それにつけても古い建物ばかりおどろいた。駅前の彫刻と噴水に圧倒されたことを覚えている。

ホテルに帰りフロントに上がる階段で座って休憩しているところに弟がやってきた。イタリア人の女の子と一緒だ。びっくり。弟は小生より7才下で当時23才だったと思う。 小生は30才。当時のはやりでロングヘア。パーマをかけたいでたちです。
・・・・・・2001.10.16記